これを切っ掛けに、古山裕一(窪田正孝)は歌手を目指している女性と出会い、その女性と結婚し、2人で苦難を乗り越えて、数々のヒット曲を生み出していった。 川俣の銀行を経営する実業家。 初孫の華および義理の息子裕一と対面した後、文学を教えた親友に先を越された梅を励まし、さらに光子が未亡人になってからずっと支えてくれた岩城が彼女に好意を寄せていると聞いた時は、工場に「再婚を許す」と置き書きを残してあの世に帰っていった。
18幼少時から長唄、日本舞踊、琴を学びます。
主役を引き立たせるだけでなく、この人がいる事によって物語に厚みが増す、絶対必要なバイプレイヤーという感じ。 ・・・人気歌手• ポリドールの新譜を聞いていた私は、鮮烈な驚きを感じた。
裕一の祖父。
その翌日に裕一が華を迎えに来た帰りにケンを連れて孤児院『聖マリア園』まで同行し裕一をシスターの飯塚佐代に紹介した。 女学校を卒業した金子は、満州の兄のところに遊びに行きましたが、帰国時、乗っていた 客船が座礁・沈没という出来事に遭遇し、金子は死を覚悟したというエピソードがあります。
16東京で二人の新生活をはじめる。
結局、川俣銀行のメンバーの後押しもあり、裕一は音楽国際作曲コンクールに参加することを決心したが、ブランクが長かったためか、なかなか作曲に手がつかず苦悩する。 ・・・小説家• 華は受験生さながらにリハビリの勉強をして、アキラに施した。
17上京してきた裕一と音のために、保と共に住宅を紹介してくれた恩人でもある。
1930(昭和5)年に古関裕而が上京して以来、父と息子のやりとりはあまりなかったようですが、1937(昭和12)年に大流行した軍歌『露営の歌』が長男・古関裕而の曲だと知って喜んでおり、古関裕而も親孝行ができたと喜んでいたそうです。
・・・古山裕一の母• 自由奔放な性格で、妻・まさ や周りを戸惑わせてしまうこともしばしば…。
ただし、雅子さんは戸籍上は昭和7(1932)年のお生まれです。